悲劇を生む「他人を巻き込むな」という主張

人身事故や飛び降りがニュースになると、「自分の死に他人を巻き込む殺人者」だとか「他人に迷惑をかけずに死ね」という主張が毎回あふれかえる。

筆者は日ごろから、これがきわめて無責任であり、かえって模倣する人が増える危険な主張だと考えているのだが、なぜそう思っているのか思考を整理した。

念のため、筆者は心理学や社会学の専門家ではなく一般人であり、希死念慮に苛まれやすい人間であるから、バイアスを含んだ乱れた文章であることを付け加えておく。また、実際の統計や根拠は特に記載しない。断定形を使っていても、それは個人の意見である。

言いたいこと

他人を巻き込んで自殺した人に同情しなくてかまわないので、第三者が、自ら死を選んだ人に軽い気持ちで冷たい言葉を書き込むな。

自殺は問題解決の究極の切り札

死にたいと思ったことがない人は、死を選ぶ人の気持ちは理解しがたいので、死に至ってしまう原因を記しておく。

自死を選ぶ人の大抵の理由は、何らかの社会(人間関係)に対して悩みを抱えていることだと思っている。

「学校で同級生にいじめられた」「会社で上司からパワハラを受けた」「両親や我が子の介護に疲れた」など、理由は様々だが、いずれも「学校」「会社」「家族」などの社会に起因する悩み、つまりは自分と他人の人間関係に対して、悩みを募らせていることが多い。

さまざまな問題を抱え込んだ結果、頭の問題処理能力を超えてしまうと、問題解決の究極の切り札として「死」が頭をよぎるようになる。

常に冷静に自分を俯瞰できる人や第三者からすれば、親に相談する、転職する、施設に預ける、と具体的な解決策を考えるかもしれないが、すでに希死念慮にとらわれている人は、現状を整理して、着実に問題を解決する能力が不全な段階にあるから、その選択肢はすでに失っている。

筆者の思いつく限りでは、死ぬことでしか解決できないことは存在しないので、唯一の選択肢にはなりえないし、問題の根源を解決できていないので誤った解決策ともいえる。

筆者も学生時代に部活動がうまくいかずいじめを受けて、自傷行為をしたことがあった。親の悲しむ顔を見たくなかったし、「退部するなんて情けない」という思いが邪魔をして、落ち着いて判断することができなかった。今考えてみると、いくらでも解決策を打てる事案だと思う。

誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法はない

人は誰しも社会の構成員=人間関係を持っているので、そもそも「誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法」など存在しない。

遺体を処理するのは警察だし、葬儀や死亡時の手続きをするのは遺族や行政である。社会の構成員としてこの世に生を受けた以上、誰にも気づかれず、最初から生まれてこなかったかのように、ひっそりと姿を消すことは不可能である。

この主張はなぜ危険なのか

以上の理由から「他人に迷惑をかけずに死ね」は成立しないのだが、彼らの言う「迷惑」とは、人身事故により遺体の一部が飛んできてケガをしたり、ビルの屋上からの落下地点にいたことで巻き添えを食らったりすることを指しているように思う。

死に至るまでの経緯は本人にしか分からないので、死を選ぶ人に同情する必要はない。筆者も、自分がこの場所に居合わせたら大変困るし、身内が巻き込まれたら「なんてことをしてくれたんだ」と感じると思う。

ただ、「自殺したやつは他人に迷惑をかけた加害者」 などという主張を第三者が気軽に投稿することは非常に危険である。

まず、今「死にたい」と思っている人がこの主張を目にして、「それなら人を巻き込まずに死ぬ方法を考えよう」と冷静な判断ができる状態だろうか。「自殺者は加害者」という風潮を浸透させたところで、死を選ぶ人が減るとは到底思えない。

ましてや、危険なのが、「こんなに悩んでいるのに、理解しようともせず、冷たい言葉を浴びせてくる社会に報復しよう」と考える人が現れることである。

自殺の原因は何らかの人間関係にある、と書いたが、これは必ずしも特定の人間だけに対するものではなく、「周りは理解してくれない、気にも留めてくれない」世の中に不満を抱いていることも多い*1

社会に漠然と不満を抱いている人が「他人に迷惑をかけずに死ねよ」などと書かれ、共感する人がたくさんいるのを目にしたら、冷酷な世の中に絶望し、恨みを晴らすために一般人を道連れにしてやろう、と考えるのは不自然なことではないと思う*2

つまり、精神が正常な人からすると一見正論に聞こえる、冒頭の「自分の死に他人を巻き込む殺人者」だとか「他人に迷惑をかけずに死ね」という言葉は、迷惑をかける死に方を減らすどころか、被害者が増えることにつながるのである。

また、「自殺者は追い詰められているから配慮すべきという人は、被害者やその関係者、遺族に対しても同じことが言えるのか」という反論がある。

筆者は「自死を選ぶ人は追い詰められていたから、それに巻き込まれても仕方ない」とは一切思っていない。自死を選んだ人にどんな事情があろうと、他害したのなら立派な罪であるし、前述のように、自分や身内が巻き込まれたら、相手が自殺者であっても簡単に許すことはできない。

それでも、第三者が自殺した人を公然と非難すべきでないのは、同じように今生きるか死ぬかの崖っぷちに立っている人を、そのまま崖の下に突き落とす引き金となり、ましてや社会の冷酷さに絶望した人が凶悪犯罪に走る種をまくことにつながるかもしれないからである。

他害の有無にかかわらず、自殺者を減らすには、学校、会社、行政が行っているような、いつでも誰かに相談できる制度、雰囲気=社会をつくっていくことが重要であり、自殺そのものを非難することでは決して解決できないと思う。

最後に

投身による人身事故や巻き添え事故が発生したことに対してどのように思うかは、心の中は誰も裁けないので、自由である。

しかし、第三者が安易に「自分の死に他人を巻き込む殺人者」だとか「他人に迷惑をかけずに死ね」などと書き込むのは、何の解決にもならないどころか、新たな悲劇を生むことにつながる、無責任で危険な行為であると考えている。

*1:この状態に陥りやすい人は、自分で抱え込んで悩んでいるように見えない場合や、相談できる人を自ら遠ざけている場合も多いので、誰もが悩みを抱える人に手を差し伸べるべき、とまでは考えていない

*2:特定の人がこの考えで死ぬ方法を選んだ、というわけではない。

私が進んで残業する理由

なぜ残業しないと不安になるのか考えてみた。

あくまで「やるべきことさえやっていれば定時に帰ってよいのに、なぜ定時に上がろうとしないのか」という心理的な内容であって、

  • やるべき仕事が山程あってその日に捌ききれない。
  • 上司の前に部下が帰ってはいけないという昭和企業にいる。 

ではないし、固定残業制+超過残業代は大した金額ではないので、残業代を稼ぐためにわざとダラダラしているわけでもない。

定時に帰ってもやることがない

入社前は趣味にゲームと書けるくらいにゲームをしていたが、ゲーム機は数ヶ月以上起動していないし、続けているデレステも最近は偶に数曲プレイする程度である。

定時に帰っても3時間残業しても、やることがないなら残業している方が充実感がある。

通勤時間が長すぎる

通勤時間は往復3時間かかるので、定時に帰宅しても自由時間は12時間。

朝夕にちゃんと食事を取り、身だしなみ(朝の身支度、洗濯、入浴)を整え、睡眠時間をちゃんと8時間取った場合、残った時間はわずかである。

通退勤は体力を使うので、帰ったら眠気で何もやる気が起きないから、定時に帰る意味がない。

また、夜遅いほうが電車が空いていて座れるので、1時間以上吊り革を掴まる必要がないし、寝不足なら端に座って寝ることもできる。

完璧主義(自己肯定感が低い)

当日のやるべきことをこなしても、まだ何かできることがあるのではないか、明日やることに着手したほうが当日焦らずに済むだろうという考え。

こういう人はいくら仕事をしても満足できないので、退勤上限まで残業する→今日こなせる最大の成果を上げた、と考えるしか満足する方法がない。

固定残業制

0時間働いても、固定残業めいっぱい働いても人件費は同じなので、会社の収支には迷惑をかけていないという考え。

社内評価が上がる

勤務先は残業時間で評価される会社ではないが、定時に帰ると「当日最低限やるべきこと」しかできないので、評価が「期待を満たしている」にとどまってしまう。

残業時間に業務改善したり、社内勉強会の資料をこだわってみたり、週のタスクを巻いてチームの仕事を肩代わりしたりすると、評価が上がりやすくなる。

頭の良い人はやるべきことを8割、奉仕を2割くらいにして評価を稼いでいるのだろうが、そんなに器用ではないので残業して取り返すしかない。

周りも残業している

周りが残業しているから自分も仕事しなきゃ、という考え。

定時に帰れる会社なので当然定時に帰る人もいるが、忙しくて残っている人も多い。

最近はあまり考えていない。

 

なぜ定時に帰らないのか、というより、なぜ定時に帰るのか、という思考に陥っている気がする。